履 歴

2002.4.6 受傷  モーグルコースにて、エアを飛びトリプルツイスターの3つ目のツイスターを振り切ったままランディング。痛かったけど30秒位その場にうずくまると痛みも引きまた滑り始める。

 その後、もう1本モーグルコースを滑った後(エアは飛ばず)、最後に止まろうとした時に右膝にピキッと痛みが走り、膝が伸びなくなる。

 その後は滑らず。駐車場にて曲げ伸ばしをするも、曲げられるが伸びない。アイシングしながら車を運転しながら帰宅。家に帰ると膝が腫れてきて曲がらず伸びずで動けない。

2002.4.7 診察  朝起きると、相変わらず膝が曲がらないし伸びない。でも歩くことはできる。日曜日なので休日診療に行こうと思うが、近くの国立病院には外科の当直がおらず、消防庁に電話をし近くの病院を紹介してもらう。

 タクシーでK病院に行く。当直の医師に診察してもらいレントゲンを撮る。「半月板が間接に挟まっていて動かないのだろう。骨、靱帯は大丈夫そうだ」との診断を受ける。

2002.4.8 再診察  再度K病院へ診察。MRIをやる。結果、やはり半月板損傷との診断。「入院、手術が必要」と言われ、即予約。

 4月1日に異動したばかりの職場に「入院、手術の必要」を伝え、ちょっと嫌な顔をされる。

2002.4.9〜16  入院まで右膝が伸びきらないので、片松葉をつきながら会社に通う。歩く分には痛みなし。相変わらず膝の稼働域狭し。
2002.4.17 入院  手術の前日入院。足の毛を剃られ、点滴を打たれ、浣腸されやや凹む。足の毛を剃られた際、数カ所切られる。点滴の針がなかなか入らず痛くてやや切れる。
2002.4.18 手術  午前中、手術。麻酔も特に痛くなく手術は1時間ちょっとで終了。手術後、前十字靱帯も切れていることを告げられ、頭が真っ白になる。

 病室にて手術の説明を受ける。「半月板は処置した。しかし前十字靱帯がほぼ切れている。スポーツ復帰をするためには、膝の稼働域を広げてから再度再建手術が必要。術後は3ヶ月くらいで歩けるようになり、半年後から走れるようになる。スキーは今年は無理だろう。」と。しかし、「手術しないで装具をつけてスキーをする選択肢もある。やってできないことはない。」と。

 仕事の都合上、7月過ぎないと再入院できない。7月手術だと今期のスキー復帰は絶望的。この時期はまだモーグル選手として相当モチベーションが高く、本気で全日本選手権を目指してがんばっていた頃だったのでかなり凹む。そして1年間靱帯がない状態で筋トレと装具でカバーしがんばることを決意。

 しかし、入院生活。飯はまずいし、同室はおじさん達。会話もなし。いやな入院生活だった。特に術後、小便が出ず、尿道に管を等されたことが一番ショック。

2002.4.21 退院  入院中、頭の中はモーグルができないことで一杯。なにもかも投げ出したくなる。退院してもあまりうれしくなかった。
2002.4.22〜 リハビリ  ひたすら筋トレに明け暮れる毎日。靱帯がないということは思いの外つらいことだ。精神的につらい。いつ膝が外れるかもしれないという恐怖が、常に頭の中をよぎる。そして、治ることのない悪化させないためのリハビリ。これは報われることのない努力と同じ。やっていてむなしい。でも何とかこの冬の大会にだけは出場したいという思いがかろうじて自分をつなぎ止めていた。

 まわりの仲間が山やザウスで滑っているのに自分は滑れない。そんな現実をなかなか受け入れられない。ケガした時の光景がぐるぐる頭の中を駆けめぐる。そしてあのときあんな技をやらなければ、としょうもないことをいつも考えていた。

 生まれてこのかた運動し続けながら生きてきた。それが動けないということでイライラもつのる。ストレスもたまる。家族関係もぎくしゃくしてくる。いいことなし。

2002.8.7 SNOVA復帰  術後初めてスキーを履く。装具をつけながら緩斜面を滑ってみる。滑れない。自分の体じゃないみたい。このとき医者の言っていた「再建手術をしなくても滑れないことはない」という言葉の意味が分かり始める。

 ここら辺から再建手術をしようかと思い始める。でも、今手術をすると今までのリハビリも無駄になるし、冬山復帰は100%ダメになる。インターネットで靱帯関係のHPと病院のHPを見まくる。

 しょうがないので今の状態を続ける。モチベーションを保つのことで精一杯。

2002.9.8 ザウス復帰  ザウス閉鎖前になんとか復帰することができた。斜度の緩いイエローコースのみだが、そこそこ滑れるようになる。イメージ通りの滑りにはほど遠いが、楽しく滑れることができた。レクレーションレベルならこれでも良いが、競技復帰となると全然問題外。
2002.9.29 ラストザウス  手術をしていたらこのザウス閉鎖前に復活することはできなかっただろう。そうおもえばこの選択もありだったか。斜度の急なレッドコースのラインもそこそこ滑れるようにはなってきた。術後4ヶ月でここまで滑れれば山も平気かと思い始める。
2002.10〜12 リハビリ  この間はひたすら筋トレ。でも怪我前の6割くらいしか筋力は戻ってこない。気持ちは4月の再建手術に向いている。

 いつもならこの時期はもう少しで山でスキーができるとウキウキなのだが、今年はそんな気持ちもおきない。本当にモーグルできるか不安でいっぱい。治ることのない、悪化させないためのリハビリは本当につらい。

2002.11 再受診  初滑りの前に、再度診察を受ける。靱帯では有名なK.R.病院。正直K病院は良くなかった。はじめからこのK.R.病院に行けば良かったと後悔。でも、怪我した当時は知らなかったからしょうがない。

 診察してもらって膝の状態はそんなに悪くない。今手術するのはもったいないと言われ、リハビリしながら筋力を付け様子を見ながら滑ることにした。筋力測定したが、まだまだ筋力が付いていない。

2002.11.30 初滑り  なんとか冬山復帰。でもイメージ通りには滑れない。このころには大会出場もどうでもよくなってきている。でも滑ることは楽しい。
2003.1〜2 大会周り  イメージ通り滑れないまでも、なんとか滑れるようになってきており、エアも飛べるようになってきた。筋力もこのころにはほぼ回復。靱帯が切れている割にはがんばったと思う。でも大会の成績はついてこない。ボロボロ。去年より悪い。全日本なんて夢のまた夢。
2003.2.22 再受傷  苗場のモーグルコースで滑っているところ、バランス崩して転倒。再度負傷。装具をつけていたが激痛。しばらく動けない。今度は友達に運転してもらい帰宅。

 怪我したショックはなかった。それよりかこれでようやく治せるという安堵感の方が強かった。

2003.2.26 診察  K.R.病院にて診察。案の定、完全断裂の疑い濃厚。まあもともと切れていたんだけど、皮一枚でくっついていたのが完全に切れたみたい。

 MRIを予約。このころ職場は大忙し。MRIすら行かせてもらえず、職場の上司とやや衝突。無理矢理休んでMRIとって入院の予約。

2003.3.12 MRI  ようやくMRIができた。手術日も4月7日に決定。本当はすぐにでもやりたいところだが、それができないのが社会人のつらいところ。入院時期をめぐって職場や家庭でしばし衝突。精神的にもかなり限界。
2002.3〜4 リハビリ  この間は、主に稼働域を100%に近づけるためのリハビリ。エアロバイク等筋力を付けるリハビリも併せて行った。
2003,4,4 入院  手術が月曜日だったので、金曜日の入院。前のK病院と違い、病棟の年齢層の若さに驚く。自分(当時28歳)は真ん中くらい。

 4月の入院と言うことで、妻の仕事復帰、子どもの保育園とタイミング的には最悪だったが、手術させてもらうことにした。精神的に限界に来ていたので、一刻も早く治したかった。治して前向きなリハビリがしたかった。

2003.4.7 手術  手術前日の浣腸とかは特になかった。手術は午後から。麻酔、手術共に特に痛くなかった。2時間弱の手術時間。手術は無事成功。半月板の損傷はなし。前十字靱帯は皮一枚でつながっていたとのこと。

 手術室を出た頃には麻酔は切れ始め、足の指が動いた。麻酔が完全に切れてからは2日間痛みとの戦い。

2003.4.9〜 リハビリ  手術翌々日からリハビリ開始。思いの外つらいリハビリだったが、同じような境遇の人が多数いたのと、年齢層も近かったので比較的楽しく(?)できた。精神的には結構楽だった。高校生の部活の合宿を思い出した。
2003.4.10 点滴取れる  点滴が取れたので洗面台で頭を洗うことができた。
2003.4.13 シャワー  右足をビニール袋で覆い、シャワーを浴びることができた。
2003.4.15 片松葉とれる  片方の松葉杖が取れる。
2003.4.16 両松葉とれる  両松葉が取れる。これは結構早いほう。
2003.4.18 全身シャワー  全身シャワー解禁。
2003.4.22 階段昇降  階段昇降を始める。
2003.4.26 退院  3週間の入院(これは平均的)から解放される。しばらくは通院リハビリ。
2003.4.27〜5.5 通院リハ  病院や地元のジムでリハビリ。主に稼働域を広げるためのリハビリが中心。
2003.5.1 レッグプレスOK  レッグプレスの許可が出た。
2003.5.6 初出社  1ヶ月の病欠を明け出社。装具をつけて通勤。通勤電車はかなりつらい。でも席を譲られることは1回もなかった。
2003.5.7 エアロバイクデビュー  エアロバイクの許可が出た。
2003.5.13 チャリデビュー  自転車デビューを果たした。
2003.5.21 装具がとれた。  家の中では取れていたが、通勤電車も外してOKになった。
2003.6.4 ジョギングOK  ジョギングの許可が出た。といっても3分走って1分歩くのを3セット。
2003.6.25 メニューが追加  サイドステップ、バックステップ、ジグザク走りが追加。サッカーの対面パス(5m)、リフティングがOK。レッグカールもOK。
2003.7.30 メニュー追加  ジョギングもダッシュの50%までOK。時間は痛くなければフリー。
2003.7.31 サッカー  ミニゲームに入った。一番後ろでパス出し程度ならOK。
2003.9.10 筋力測定  術後5ヶ月で筋力測定。75%程度の回復。一応合格ライン。筋トレが全面解禁になる。とはいっても徐々に負荷をあげていかなくてはいけない。
2003.10.15 サッカー試合  サッカーの試合に後半10分間だけプチデビューを果たす。でもノーコンタクトを心がけた。ボールを取りに行かない。削られないように玉出しを早くすることを心がけた。もちろん高いボールは競らない。そこそこ動けた。

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